ピアノソナタ2番と3番です。
ベートーヴェンはヴィーン到着当初から
貴族の間で知られており、
音楽への愛着がことさらに強い
ヴィーンの貴族サークルとの関係も
すぐに築くことができた。
ボンからの俸給は1794年3月に
打ち切られたが、ヴィーン時代最初期から
最晩年に至るまで、ベートーヴェンは
多くの貴族の後援を受け、
生涯の大半を固定された職務を持たない
自由な芸術家として生きることのできた
最初の大作曲家となった。
しかし、経済的な援助が不可欠でありながら、
精神的には完全な自立を渇望していたため、
ベートーヴェンの貴族に対する態度・
心境は絶えず矛盾を孕んでいた。
ピアニストとしてのベートーヴェンは、
とりわけ即興演奏に卓抜な才能を見せ、
貴族のサロンで瞬く間に名声を広めていった。
(ピティナ.ピアノ曲事典より)
ピアノソナタ1,2,3番を作品2として
ハイドンに献呈されています。
ハイドンの施した指導は、ベートーヴェンの
期待に答えるものではなかったようで、
その後ハイドン門下を飛び出したようですが、
曲をハイドンに献呈しているところ、
そこまで険悪な仲ではなかったようです。
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